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中絶胎児の心霊!? 水子供養へ一言。

水子供養とは一体何でしょうか?今このページを読んでいる皆さんの中には、信仰を持っていらっしゃる方もいるかもしれませんし、妊娠や胎児の生命に関して、自分自身の意見を持っていらっしゃるかもしれません。それはもちろん個人の自由ですし、誰かが干渉することではありません。水子供養に関しても、様々異なる見解や、実際の経験があると思います。しかし、女性の立場を守り、女性の権利を支持するという私たちの立場からいうと、中絶をした人の罪悪感に漬け込む考え方や、悲しみを利用するビジネスには同意できません。また、「悪いことが起こるのは、生まれて来られなかった赤ちゃんの祟りである」などの根拠のない脅しのような考え方にも同意はできません。

よく耳にする水子供養とは実は一体何でしょうか?いつから存在するものはのでしょうか。ここでは水子供養誕生の歴史的背景と、女性活動家としての私たちの見解を紹介します。

さらに質問がある方、また、予期せぬ妊娠をしてしまい、どうしたら分からない方はinfo@womenonweb.org にメールをください。

水子供養出現の歴史的背景

今日されるような水子供養の儀式は、僧が御経を読んだり、戒名をつけたり、古い仏教の供養の仕方に従っており、まるで昔から存在しているように見えます。ですが、実は、1970年代に生まれ、1980年代にブームを見たごく最近出現した儀式の方法で、その歴史はせいぜい50年程度です。

ではなぜ1980年代に水子供養ブームなのでしょうか?日本の高度経済成長は1960年、70年代から始まり、80年代にその隆盛を見ますが、1980年代は少子化が始まった時期でもあります。経済成長のため、労働力を確保したかったことが一つの理由となり、一部の政治家達(男!)が、1970年代、1980年代、日本での中絶を実質的に「禁止」つまり、日本で中絶をすることは法律的に犯罪であることにしようとしました。幸い、これらの動きは、例えば、ウーマンリブ、’82優生保護法改悪阻止連絡会などの女性活動家たちによって阻止されます。労働力確保、少子化の始まりという時代背景が、水子供養という儀式がブームをみた政治経済的土壌です。

仏教の教えに基づいているように見えますが、水子供養は、実ははっきりした経典や考え方に基づいていません。故に、宗派に関係なく、仏教諸宗派の寺は、都合よく水子供養を収入源として活動に取り入れることができました。

日本文化に何となく存在する「死んだ後も魂は存続する」という考え方が、中絶をした女性やカップルにしっくりきたのでしょう。

妊娠の生物学的仕組みの説明が今より曖昧で、避妊方法も今ほど数多く存在しなかった江戸時代以前、つまり、明治時代、近代化に伴って中絶が取り締まられる前の日本では、中絶や、嬰児殺しは、日常的に行われていました。だから中絶や嬰児殺しを行われても全く何も気にしないでいい、ということでは決してありません。人間も避妊方法も完璧でない以上、予期せぬ妊娠は誰にでも起こりうる人間の人生の出来事であり、人間は、止むを得ず中絶などをして、生活を維持し、一生懸命生きてきたのです。それが人類の歴史とも言えるでしょう。それを政治的経済的利益の都合で、あるときは緩められたり、またある時には犯罪にされたり、罪悪感に漬け込まれたり、ということに異議があるということです。

望まない妊娠を防ぐためには、中絶をした人を責めるよりも、むしろ性教育を充実させることが必要であるはずなのに、日本の性教育は全くお粗末です。若者も成人も、例えば、月経周期でいつ妊娠しやすいかなどもあまり知らないのが現状です。また、例えば相手が恋人であっても、セックスしたくない時には「ノー」と言ってもいい男女関係、どう避妊するかを、恥ずかしいと思わず堂々と話し合えることができる男女関係が、今の日本で普通であると言えるでしょうか?まして、男が性的強さや技術のアピールとして、コンドームを使うのを嫌がるなどというのは、完全なナンセンスと言えるでしょう。 性教育が充実おらず、ではいざ予期せぬ妊娠してしまって困っているときに、中絶は悪であると責められる、では私たちは一体どうすればいいのでしょうか?避妊方法に関してはこちらをクリック。 これも関連記事です。

水子供養へ一言

これらのことを背景に、水子供養の問題点をまとめます。

1)今日なされるような水子供養が出現した当初、つまり1970年80年代には、水子の祟りということが盛んに言われました。 ですが、本当に水子なるものの祟りであるか分からない中、中絶をした人々の罪悪感に漬け込むことに賛成はできません。 中絶が楽しい経験であるという人は滅多にいないと思いますし、故意に中絶をする事態を選ぶ、ということも一般にはあまりないと思います。中絶外科手術にしても、薬を使った中絶にしても、中絶をする事態をなるべく避けたい、というのがほとんどの人の実感です。

2)水子供養では、妊娠や中絶を考えるとき、焦点は胎児を中心としており、妊娠を中絶を実際に体験する人が通り越されてしまっています。産むにせよ産まないにせよ、産む性を持つ女性は大きく関わっているのに女性を無視する ー これは、「小さな命を守ろう」等、非常に耳障りのいい言葉を発しながら、子を産み、(胎児の父親と一緒であろうが一人であろうが)育てていく人の人生を無視する生命尊重派の話し方の特徴です。

3)実際には、水子供養をして、苦しみが軽くなった、という方もいることでしょう。高額な供養した後に、引き換えに手に入れた地蔵などに話しかけ、心を癒している人もたくさんいるのは事実です。これは何を意味しているのか?中絶を経験した人の多くは、セラピーあるいはカウンセリング制度を欲しているのです。誰かと話したいのです。

西洋の方が優れていると論じたいわけではありませんが、ヨーロッパの多くの国々では、中絶後、健康保険が費用を部分的あるいは全額カバーをし、中絶体験後の心理を勉強してきた専門家やソーシャルワーカーとセラピーあるいはカウンセリングを受けることができます。専門家たちは、中絶した人たちを決して責めず、基本的に中絶は誰にでも予期せず起こり得ること、あなたは一人ではない、ということをそれぞれのケースに応じて感じさせてくれ、中絶を人生の一体験として消化し、その後の人生をしっかり生きていけるようにサポートしてくれます。中絶体験はこちらをクリック。

残念ながら、日本ではこのような医療制度は未だ一般的ではないですが、もし、信頼できる友人や、家族等とお話しできるのであれば、一人で抱え込むよりずっと心は軽くなるはずです。医療制度がカバーしてくれるようなセラピーやカウンセリングが存在しない、あるいは非常に高額であるために、専門家が心理的にガイドしてくれるわけでもない水子供養に頼らなければならないのは残念です。水子供養を受ける女性やカップルが責められるべきではなく、商売として出現し、きちんとガイドもできない方法しか存在しないのが残念なのです。

中絶は誰にでも起こりうる人生の一体験である、それを消化し、その後の人生をしっかり生きていく。ここから、日本の1970年代のウーマンリブの一つの議論を思い出します。つまり、中絶がエゴなら、産むのもエゴ。適齢期だからとか、女だから母性があるし産むのは当然、などと何となく子供を産もうと思うのでなく、また、産むことが正しいとか、産まないことが悪い、とか決めつけるのでもなく、産むことも、産まないことも、自分にとって、自分の人生にとって、その意味はなんなのか、もっと一生懸命考えようよ、ということです。中絶に限らず、人はどこか何かについて後悔や罪悪感を持っているものです。一生懸命考えて、たとえ罪悪感があっても人生の一部分にして、人生を丁寧に生きていく、それは人生に自然なことではないでしょうか?

 

私たちは中絶をする女性を支援します。

ウーマンオンウェブは、自分の国で安全な中絶をできない女性を支援しています。質問等ある方は、以下にメールをください。info@womenonweb.org

 

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